2・幼少期

 龍之介が預けられた芥川家は、代々御奥坊主をつとめた、江戸時代から続く旧家でした。
 芥川家には、三人の家族がいました。フクの兄に当たる芥川道章(あくたがわどうしょう)と、道章の妻のとも。このふたりが、のちに龍之介の養父母となる夫妻です。道章は東京府の土木課で働いていました。それともうひとり、フキという女性がいました。フキは道章の妹・フクの姉で、龍之介の伯母に当たります。この芥川家に子はいませんでした。それ故に、芥川家ではみんなから『龍ちゃん』と呼ばれ、一人っ子同然に可愛がられました。とりわけ、フキは幼い龍之介に対して、牛乳を与え、毎晩抱き寝をし、誰よりも龍之介を可愛がりました。
 芥川家は、下町的な江戸趣味の濃い家庭でした。文学や美術を好み、一家を挙げて一中節を習ったり、歌舞伎をよく観に出かけていました。また道章は、俳句や盆栽にも通じていました。龍之介は物心ついた頃から本が大好きで、家の本棚にあった草双紙や、『西遊記』、『水滸伝』などを愛読していました。
 幼い頃の龍之介は、大変疳が強く、病弱な子どもでした。庭に植えてある一本の蝋梅を愛する一方で、五葉の松を不気味に思い、金箔の黒ずんだ位牌や、土偶のお狸様に恐怖を感じるような神経質さを持っていたのです。少しでも神経が高ぶると、一晩中眠れなくて、翌日には激しく熱を出してしまうほどでした。そんな龍之介を、養父母やフキはいつも心配していました。
 龍之介が五歳のとき、幼稚園に入園しました。幼稚園では病弱さと疳の強さから、よくクラスの子たちにいじめられました。日本が日清戦争に勝利し、軍事意欲が高まっていたためか、この頃の夢は海軍将校になることでした。しかし、翌年小学校に入学すると、夢は洋画家に変わって行きました。友達もたくさん出来、読書に対する情熱も高まっていきました。近所の貸本屋を始め、大橋図書館や帝国図書館などにも足を運び、滝沢馬琴・式亭三馬・十返舎一九・近松門左衛門などの江戸文学、泉鏡花・徳富蘆花・尾崎紅葉などの近代作品を多読しました。
 やがて、龍之介の欲は、それだけに留まらなくなりました。
「読んでいるだけでは物足りない。ボクもお話が書きたい!」
 そう思った龍之介は、小学五年生のとき、友人たちと『日の出界』という回覧雑誌を発刊しました。この『日の出界』で、龍之介は小説を書くだけでなく、カットや装丁なども担当しました。
 その一方で、龍之介は、『新原龍之介』という、本当の名前を知らされないまま、『芥川』という苗字と、『龍之』という、実父がつけてくれたのとは違う漢字を名乗っていました。自分の家族に対して、遠慮がちな生活を送っていました。自分を可愛がってくれる半面、この人たちはボクの本当の親ではない、そう心の中で思い続けていたのです。
 龍之介が芥川家に預けられた後も、新原家にはよく通っていました。実父の敏三は、当時では珍しいアイスクリームやラム酒をおごり、龍之介を新原家に戻そうとしていました。新原家は新原家で跡継ぎとなる男の子がいないからです。龍之介の知らないところで、芥川家と新原家は、どちらが龍之介を跡継ぎにするかで争っていました。
 龍之介が十二歳のとき、正式に『芥川龍之介』となりました。新原家には、得二(とくじ)という男の子が生まれていました。得二は、龍之介とお父さんは一緒ですが、お母さんは別の人で、新原家に手伝いに来ていたフユという女性でした。このフユは、龍之介の実母・フクの妹に当たります。得二を新原家の跡継ぎにすることと、フユを新原家に入籍させることで、静かな争いに決着がついたのです。そして何よりも、自分を実の子どものように育ててくれた芥川家から離れたくない、そんな龍之介の思いが一番強かったのでしょう。

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