龍之介さんが名乗ったペンネーム

立田川雄之介

小学生のとき、同級生の野口真造に宛てた、劇の台本で使われた。仮の名前。

覆面王RA生

小学生のとき、同級生の野口真造に宛てた、劇の台本で使われた。

青萍、狂生

1910年、山本喜誉司に宛てて。

芥龍介

1910年、山本喜誉司に宛てて。山本を『山喜司大兄』と呼んでいる。

SATYR、SATYRS

1911年、山本喜誉司に宛てて。山本を『APOLLO』と呼んでいる。

RIUNOSUQUE、Reunosuque

1911年、山本喜誉司に宛てて。山本を『QUIYOSHIさま』と呼んでいる。

Riunosky

1911年、名前をロシア風に捩ったニックネームをつけるのが友人間で流行った際についたニックネーム。

ANTONIO

1913年、1916年。山本喜誉司に宛てて。山本を『DON JUANの息子』『LEONARDO』と呼んでいる。

柳川隆之介、押川隆之介

1914年、アナトール・フランスの『バルタザール』、イエーツの『春の心臓』を翻訳したときのペンネーム。
前者は、当時憧れていた詩人・北原白秋の出身地『柳川』と、白秋の本名『隆吉』を、自分の本名と掛け合わせたもの。

壽陵余子

1914年、井川恭に宛てて。自らを『先生の忠実なる門弟』と称している。

残夜水明楼主人

1916年、秦豊吉に宛てて。

唖苦陀

1916年、松岡譲に宛てて。『あくた』に当て字をしたものである。

椒図道人百拝

1917年、赤木桁平に宛てて。自らを『学弟』と称している。

我鬼

1917年12月~1924年初頭まで使っていた雅号。本名に準じて有名なもの。龍之介はこのペンネームの由来を聞かれたとき、「君、支那人は自我と言う意味を、『我鬼』と言うのだ。流石は支那人だけあって、上手く言ってあるだろう」と自慢げに説明したそうである。

澄江堂(主人)

1920~1927年まで使っていた雅号。本名に準じて有名なもの。ペンネーム自体は1920年から使っていたが、1922年の春に、書斎を『我鬼窟』から『澄江堂』へと改めた。これは、幼い頃から親しんだ、墨田川の流れに因んだものである。前年度からの健康の衰えから、心機一転を計る意味での改名でもあったようだ。

夜来花庵主、夜来花洞主

1920~1921年。龍之介は1921年に『夜来の花』という単行本を出した。

牙旗生

1920年3月13日。『がき(我鬼)』に別の漢字を当てたもの。

田端之河童

1920年、小穴隆一に宛てて。小穴を『本郷之河童』と呼び、それぞれを河童に模したイラストを描いている。

あくた川龍のすけ

1920年、1925年、小穴隆一に宛てて。本名ではあるがこの書き方は珍しい、かつ面白いと思ったので、ここに記した。

羽賀宅阿入道

1920年、佐佐木茂索に宛てて。『あくたがは』を逆さまから読み、漢字を当てたもの。茂索を『佐佐木左衛門尉』と呼んでいる。

雲田

1920年。

雲田屋我鬼兵エ

1920年12月7日、小穴隆一に宛てて。

未生子旦中

1921年、小穴隆一に宛てて。1921年の中国旅行からしばらくは、中国に触発されたからか、『中』が入ったペンネームを多用している。

あくた川円中

1921年。

了中庵主

1921年、1923年。

風中龕生

1922年、小穴隆一に宛てて。

八幡

1922年、藤澤清造に宛てて。『権現様まゐる』と記している。

ニハタヅミノ辰マロ

1924年、濱野英二に宛てて。濱野を『ハマノノ朝臣ヒデツグ様』と呼んでいる。

リウ大人

1924年、葛巻義敏に宛てて。義敏を『ヨシ坊』と呼んでいる。この義敏は龍之介の甥であるが、普段から『ヨシ坊』『義べえ』『義ちゃん』などと呼び、可愛がっていたようである。また、芥川家に書生として住み込み、龍之介にとってはアシスタント的な存在でもあった。

エライ叔父、江良以叔父

1924年、葛巻義敏に宛てて。義敏を『バカ甥さま』『婆加義敏佐麻』と呼んでいる。

利宇乃須計

1924年、小穴隆一に宛てて。『りうのすけ(りゅうのすけ)』に当て字をしている。小穴を『於阿那佐麻』と呼んでいる。

聴香洞主

1924年10月29日。『ちょうこうどう(澄江堂)』に別の漢字を当てている。

たばたやすみえ

1925年、小島政二郎に宛てて。小島を『ねぎしやおまさどの』と呼んでいる。

曼青

1925年、1927年。

たばた良寛

1925年、斎藤茂吉宛の書簡の封筒で。『たばた良寛(目のイラスト)きき』と書いている。

龍殿さま

1926年、葛巻義敏に宛てて。

ヘチマ

1927年、息子たちに宛てて。

※まだまだ調べていきますが、他にもありましたら、メールやTwitterなどで教えて頂ければ幸いです。
興味本位で調べてみましたが、その時代時代の龍之介の交友関係だったり、近況だったり、そして人間性だったり、様々なことがペンネームから見えてきて、面白かったです。
書簡などでペンネームを盛んに名乗っている時期もあれば、雅号の上に『病』などをつけている時期、単に本名しか名乗らない時期もありました。
『龍之介』という名前が好きだったのかどうかはわかりませんが、やはり『龍』、『龍之介』、『芥川龍之介』といった、本名系の署名が一番多かったです。ペンネームにしても、本名を捩ったものが多かったです。
雅号は、1922年頃から『澄江堂』に移行し始めていますが、1922~1924年初頭までは『澄江堂』と『我鬼』が混在しています。

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